日本の紙幣にはそれぞれに偉人の肖像画が印刷されていますが、

5千円札には誰が印刷されているか知っていますか?

 

1万円札の福沢諭吉はぱっと浮かんでも、

5千円札に印刷されている人物は中々思い浮かばないのではないでしょうか。

 

そこでここでは、

5千円札の現在の肖像画は誰なのか、また5千円札に印刷されてきた

歴代の人物についても解説します。



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お札の肖像画はどうやって選ばれる?

日本のお札を見てください。

千円札、2千円札、5千円札、1万円札。

 

どのお札にも人物の肖像画が描かれていますよね。

 

お札に描かれる人物は皆「有名人」ですが、

有名というだけで肖像画に選ばれる訳ではありません。

 

では、お札に描かれる人物や肖像画はどうやって決められるのでしょうか。

 

実はお札に描かれる人物を決めるのにきっちりとしたルールがありませんが、

ざっくりとした決まりとして以下のようなものがあります。

 

1.その人が世界に誇れる日本国民であること。

2.日本国民がよく知っている(親しみがある)こと。

3.精密な肖像画が残っていること。

 

それぞれを詳しく見ていきましょう。

まずは1の「その人が世界に誇れる日本国民であること」です。

 

お札というのは国の顔でもありますから、

やはり誇りを持てる人を肖像画にしたいものですよね。

 

またお札は外国人も触れる機会が多いですから、紙幣の画をきっかけに

その人の事を知ってほしいという思いもあります。

 

次に2の「日本国民がよく知っている(親しみがある)こと」です。

 

日本には1の条件に当てはまる世界に誇れる人というのはたくさんいます。

それこそ分野を細かく見ていけば、数えきれないほど見つかります。

 

ですが、お札になるのはその中でも「一般人がよく知っている人」という事になります。

 

例えば現在皆さんがよく食べているカップラーメンを開発したのは、

日清食品の安藤百福さんという人です。

 

カップラーメンは手軽に食べられるとして

世界でも「よく開発してくれた!」と称賛を浴びた商品なので、

この人も立派な「世界に誇れる日本国民」ですが

日本で知っている人は少ないのでお札にはなりません。

 

良く知られているとなると、やはり義務教育で使う

教科書に何度も出てくるような人が選ばれやすくなります。

 

最後に3の「精密な肖像画が残っていること」です。

 

お札に描かれる肖像画は新たに描かれるものではなく、

記録として残っている物をお札に印刷します。

 

つまり、どんなに世界に誇れる人でも、お札に印刷できるような

写真や肖像画がなければお札になる事はないのです。

 

例えば邪馬台国を統治したとされる卑弥呼は日本ではかなり有名ですが、

写真はおろか肖像画がないのでお札にする事はできません。

 

また、昔は聖徳太子など写真ではなく絵でも肖像画として選ばれる事がありましたが、

現在では偽造防止の為、絵ではなくよりコピーが難しい

「写真」が選ばれるようになっています。

 

つまり、今後お札に描かれる人物が変更になったとしても、それは「写真が残っている人」

に限定される訳ですね。

 

このような決まりの中から、お札の肖像画は決められるのです。



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お札の人物は誰が決める?

では、最終的にお札のデザインになる人物は誰がどうやって決めるのでしょうか。

 

実は誰がどうやって決めるのかと言うのはきちんと決まっています。

 

まず、通貨の行政を担当している財務省、お札を発行・管理する日本銀行、

お札を製造している国立印刷局の3者で誰を選ぶかの協議を行います。

そしていくつか案を出し、その中から最終的に誰にするのか決めるのは

その時の財務大臣になります。

 

勿論その決定も「勘」や「何となく」というものではなく、

日本銀行法という法律に照らし合わせながら決めます。

 

こうしてお札の肖像画は選ばれるのです。

なぜお札に肖像画がデザインされている?

ここで少しお札のトリビアについて紹介しましょう。

なぜ、お札に肖像画がデザインされていると思いますか?

 

勿論日本のすごい人を紙幣を使って世界に広めたいという気持ちは分かりますが、

それよりも大事なのは「偽造防止」です。

 

紙幣を偽造されてしまえば日本のお金の信用がなくなってしまいますので、

偽造されにくい紙幣というのは何より優先しなければいけないポイントです。

 

そして偽造防止なら、肖像画ではなくてもっと幾何学でマネしにくいような模様を

紙幣にびっしりと印刷すればいいと思いますよね。

 

特に人物の頬の部分などはかなり空白があるように見えますから、

その部分がもったいないような気がします。

 

でも実は、肖像画を印刷する事は偽造を防止するのに役立っているんです。

 

お札に肖像画がデザインされているのは、

「普通の人でも偽造を見抜きやすいから」という点があります。

 

例えばペイズリーや迷彩などの細かい模様は

一部が変わっていても普通の人はその変化に気づきません。

 

ですが肖像画(人物の顔)というのは、少しパーツが崩れるとすぐに違和感を感じます。

例えば眉毛の位置、口の傾き、顔の皺など、ほんのわずかな違いでも「あれ?」と

思います。

 

人は「人の表情の変化には気づきやすい」という特性があり、

お札に肖像画が印刷されてあるのも、うっかり偽造を掴まされてしまった人がすぐに

偽造だと見抜きやすくする為なんです。



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5千円札は3回変わっている

さて、お札の肖像画というと「ずっと変わらない」というイメージがありますが、

実はお札のデザインは偽造防止も兼ねて結構変わっているんです。

 

では5千円札はどうかというと、5千円札は1957年10月に初めて発行されましたが、

その時から合計3回変わっています。

 

つまり、約30年に一度デザインが変更されているという事ですね。

 

そして5千円さつに選ばれた歴代の人物は「聖徳太子」、「新渡戸稲造」、「樋口一葉」です。

 

では次からは、なぜこれらの人物が選ばれたのか、またどんな人物だったのかを

詳しく見ていきましょう。

5千円札の歴代人物!1番目の肖像画は「聖徳太子」

では、5千円札のデザインになった歴代人物を順番に見ていきましょう。

5千円札は1957年10月1日に初めて発行されました。

 

そして栄えある初代の人物に選ばれたのは「聖徳太子」です。

 

聖徳太子の肖像画は5千円札が初めて発行された

1957年10月から1986年1月まで使われました。

 

聖徳太子は本名を厩戸王(うまやどのおう)と言い、飛鳥時代の皇族であり政治家でした。

 

聖徳太子と言えば学校の教科書に必ず出てくる人物なので、

知っている人がほとんどだと思います。

 

では聖徳太子は具体的に何をしたのでしょうか。

聖徳太子が「すごい」と言われる所以は、以下の偉業を成し遂げたからです。

 

1.十七条の憲法を作った。

2.冠位十二階を作った。

3.遣隋使を派遣した。

 

次からは、それぞれの項目を詳しく見ていきましょう。

聖徳太子の偉業①十七条の憲法を作った

順番に説明していきましょう。

まず1の「十七条の憲法を作った」ですが、

十七条の憲法と言えば「和を以て貴しとなす」という一文はとても有名ですよね。

 

実は聖徳太子が考案したこの十七条の憲法というのが、

日本では初めて作られた成文法(一定の手続きによって決定された明文化された決まり)

になります。

 

また、憲法とついているものの現在の憲法とは少し意味が違い、

“貴族や政治家はこんな風に国政を決めて行こうよ”という指針を表したものです。

 

ちなみに十七条の憲法を現代語訳してごくごく簡単に表すと、以下のようになります。

 

1条…みんなと仲良くしよう。

2条…三宝(仏教の事)を尊敬しよう。

3条…天皇の言う事はちゃんと聞こう。

4条…役人は皆の模範となるよう礼儀正しくしよう。

5条…役人は何事も公平に。

6条…悪を許さず、善を求めよう。

7条…適材適所を大切にしよう。

8条…役人は真面目に働こう。

9条…お互いを信頼しよう。

10条…意見の食い違いがあっても怒らない。

11条…信賞必罰。

12条…民から不要な税金を取ってはいけない。

13条…自分の仕事だけでなく、人がやっている仕事にも関心を向けてね。

14条…お互いに嫉妬しないでね。

15条…役人は国が一番。私利私欲はダメ。

16条…民に何かをお願いする時は、ちゃんと時期を読もう。

17条…大事な事を決める時は、必ず皆と相談すること。

 

いかがでしょうか。

日本で最初に作られた法律ですが、現在でも十分通じるものがありますよね。

そんな考えをはるか昔に思いついていた聖徳太子はとてもすごい人物だと言えます。

聖徳太子の偉業②冠位十二階を作った

次に2の「冠位十二階を作った」を見てみましょう。

 

冠位十二階も十七条の憲法と同じく法律なのですが、内容は簡単に言うと

色と冠位(肩書)でその人の地位を表すというものでした。

 

これだけ書くと「ただ肩書をはっきりさせただけじゃん」と思うでしょうが、

すごいのはそこではありません。

 

昔の日本は生まれ持った地位こそが全てで、例えば豪族に生まれた子は豪族にしかなれず

農民に生まれた子はどんなに優秀でも農民にしかなれませんでした。

ですが聖徳太子は「才能があるものは望めば出世させてあげるべき」と考え、

能力さえあれば色と冠位を与え、高い地位を獲得できるようにしました。

 

生まれは農民でも、色と冠位さえ持っていれば広大な土地を有する豪族並みに

偉くなれたのです。

 

今より遥か昔に世襲ではなく能力主義を唱えられるなんて、聖徳太子はすごいですよね。

聖徳太子の偉業③遣隋使を派遣した

最後に3の「遣隋使を派遣した」を見てみましょう。

 

当時中国は隋(ずい)と呼ばれていましたが、

日本に比べるとはるかに文明が進んでいました。

 

そこで聖徳太子は遣隋使という遣いを出し、中国の文明を取り入れようとしました。

隋は当時日本を「ド田舎の野蛮な島国」という認識しかありませんでしたが、

聖徳太子が遣隋使として派遣した小野妹子らがきちんとした冠位を持っており

礼儀も正しかった事から対等な関係を取るようになりました。

 

また、聖徳太子が隋の王に送った「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す…」

という手紙は有名ですよね。

 

この手紙のミソは、「私たちは対等な国ですよ」という所を強調している所です。

中国と日本の国土の広さも文明さもまさに大人と子供のような差があり

実際隋も日本を見下している面がありました。

 

ですが聖徳太子が懸命に対等な関係を保とうとしたので隋も次第に心変わりをし、

日本に対する見方を変えました。

 

あの巨大な隋と対等な立場を唱えられた聖徳太子は外交面でも優秀だったと言えます。

 

聖徳太子について知りたくなったら

 

聖徳太子は遥か昔の人物ですが、考え方はかなり今風だという事が分かったと思います。

そしてさらに聖徳太子について知りたくなったら、こちらの本がおすすめです。

 

こちらはマンガなのでとても読みやすく、聖徳太子も

イケメンに描かれているので感情移入もしやすくなっています。

 

聖徳太子が生まれてから死ぬまでをしっかりとマンガで描いていますので、

当時の雰囲気や実際に聖徳太子がどんな風に偉業を成し遂げたのかがよく分かるように

なっていますよ。

 

聖徳太子の生き方が気になったら、ぜひこちらの本を読んでみてくださいね。

関連記事:一本締めの由来や意味!一丁締めとの使い分けや違いも詳しく解説!

5千円札の歴代人物!2番目の肖像画は「新渡戸稲造」

聖徳太子の次、

1984年から11月から2007年4月まで肖像画に使われたのが「新渡戸稲造」です。

 

新渡戸稲造も勿論とてもすごい人なのですが、

正直聖徳太子よりはネームバリューが落ちます。

 

そこでここでは、新渡戸稲造がどれほどすごい人なのかを紹介しますね。

 

新渡戸稲造は明治時代の人ですが、とても頭が良く、

なんと13才で東京英語学校(今の東京大学)に入学し、優秀な成績を修めます。

 

そして東京英語学校を卒業した後は、

15才で札幌農学校(今の北海道大学)へ入学し、これまた優秀な成績を修めます。

 

そして太平洋の懸け橋になりたいと思った稲造はアメリカへ留学します。

 

アメリカでも優秀な成績を修めた稲造は、

ついでにアメリカ人女性と結婚し国際結婚も実現させます。

 

そして今度はドイツへ留学し農業経済学の博士号を取得します。

 

ただ、あまりに多忙過ぎたのかその後体調を崩ししばらく療養生活を送ります。

 

ところがただでは転ばないのが新渡戸稲造の凄い所です。

この療養生活中に書いた「武士道」という本は

各国で翻訳されるほどのベストセラーになります。

 

その後体調が戻った稲造は台湾総督府で働くことになります。

そこでそれまで勉強した農学の知識を生かし、大きな功績を挙げます。

 

またそれまでの数々の功績が認められて、

1920年には国際連盟の事務次長に選ばれました。

 

こうしてみると、新渡戸稲造のあまりの優秀ぶりに驚きますよね。

また昔の人にも関わず見聞が広く、進んで外の知識を得ようとしている姿勢は

現在の人以上にグローバル感があります。

 

聖徳太子よりもネームバリューは落ちますが、聖徳太子の後釜としては

十分な実績を持った人物と言えますね。

 

世界的にベストセラーになった「武士道」を読んでみよう

 

新渡戸稲造が療養中に書いた「武士道」という本。

こんなすごい経歴を持った人が書いたなら、ぜひ読んでみませんか?

 

武士道の本編は少し内容が難しいので、こちらでおすすめするのは

「武士道」をマンガにしたものです。

 

マンカなのでとても読みやすく、スラスラとページを進める事ができますよ。

新渡戸稲造が書いた武士道は決して古臭いものではなく、

現代の日本にも通じる大切な事が書かれています。

 

新渡戸稲造って意外とすごいんだな、と思った方はぜひこちらの本を読んで

新渡戸稲造がその時世界に日本の何を伝えたかったのかを知ってみてください。

関連記事:西枕は老ける?風水での効果や対策を徹底解説!

5千円札の歴代人物!3番目(現在)の肖像画は「樋口一葉」

新渡戸稲造の次、

2004年から現在まで肖像画に使われているのが「樋口一葉」です。

 

実は樋口一葉は紙幣に肖像画として描かれた初めての女性です。

(二千円札には清少納言が描かれていますが、それは絵で肖像画ではありません)

 

樋口一葉も新渡戸稲造と同じく明治時代の人ですが、

では樋口一葉はどんな事をした人なのでしょう。

 

実は樋口一葉は24歳でこの世を去った非常に短命な女性です。

「えー!」と思いますよね。

「そんな短い間では何もできないだろう」と思うかもしれませんが、

樋口一葉の人生は全く薄めていないカルピスのように非常に濃密なものでした。

 

樋口一葉は非常に優秀で学校でもトップの成績を修めていましたが、

母親の「女子に学問は必要なし」という言葉で進学できませんでした。

 

ですがそんな一葉を父親が不憫に思い、

せめて文学をという事で萩の舎という和歌や顧問文学を勉強する所へ入学させました。

 

するとそこで一葉はメキメキと実力をつけました。

その後父親の死や結婚の破断など色々な不幸を一葉が襲います。

 

父親が死んだ事で一葉が家族の大黒柱となりましたが、

当時の女性の仕事であった針仕事ではなく、小説を書く事で家を支えようとしました。

 

そして20才から小説を発表し始めその才能が認められると、

24才で肺結核で亡くなるまで執筆を続けました。

 

特に樋口一葉の代表作ともされる作品はたった14か月の間に怒涛の如く執筆されており、

「奇跡の14か月」とも呼ばれています。

 

流れ落ちる滝のような生きた樋口一葉もまた、お札になるのに相応しい人物です。

 

昔は女性の地位は低く、樋口一葉のように才能のある人が

「女性もすごいんですよ」と世に知らしめてくれたおかげで

今の女性の立場があるとも言えます。

 

5千円札を見た時はそんな、才能がありながら

若くして亡くなった樋口一葉の人生を思い浮かべるのも良いですね。



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まとめ

5千円札に選ばれた歴代の人物は古い順に、

聖徳太子、新渡戸稲造、樋口一葉となります。

 

どの人物も日本国民が誇れる偉業を成し遂げた人達です。

 

そんな人達が自分の財布の中にいると考えると、

なんだかすごくうれしい気持ちになりますね。

 

でも、5千円札を持って日本の経済を支えているあなたも、

同じく日本に属する大切な人物の一人なんですよ。

 

5千円札に選ばれた歴代の人物と同じように、誇りを持って生きてくださいね。